麗らかな春の日の午後。
母に手をひかれやってきた桜の舞い散るとある小道で、アスランは妖精を見た。







「あなたの婚約者のキラちゃんよ」

そう言って写真を見せられたのは、つい一か月ほど前のことだった。

アスランは男だけれど政略結婚の道具にされることにはうっすら気がついていて
、写真の中の肖像がどんな女の子であっても結婚が避けられないこともわかっていた。
四歳ながらにして、自分の生涯の伴侶、言うなれば運命が決められたと悟っても 、抗う術はない。
物分かりはよい方だけれど、やはり「はいそうですか」と言えるものでもない。
だから写真を一目見て、思い切り皮肉って罵倒してやろうとしたのだ。

そう。
したのだけれど。

アスランはその写真の中で微笑む少女に、一瞬にして心奪われた。

薄っぺらい紙なのに、写し出された少女はそこからふわりと抜け出てアスランを 包んでくれそうなほどに瑞々しい。
亜麻色の髪。
菫色の瞳。
薄い桃色の頬。
そのすべてがアスランの胸を高鳴らせ、気がつけば「キラ」と何度も何度も少女 の名前を呟いていた。

世に言う、一目ぼれ。









そして今日。
待ちに待ったキラとの初の対面。
二人とも幼いから、仰々しいホテルなどはやめにしようと、両家の母親同士が話し合って、
この桜の綺麗で平凡な路上を対面の儀式の場として選んだらしい。
アスランとしては場所などはどうでもよくて、ただキラに一分一秒でも早く会い たいと気が気ではなかった。
まず、なんと話しかければよいだろうか。
「はじめまして」とか「桜が綺麗だね」みたいなごくごく普通の挨拶で構わない だろうか。
まだ聞いたことのないキラの声を想像して、心拍数が跳ね上がる。
あまりにも落ち着かなくて指と指を絡めてみたり、キラのために何日も前から作っておいたマイクロユニットの動きを確かめてみたり。
そんなことをしているうちに、遠くから人影が近付いてくる。


キラ……だ


間違いない、キラだ、とアスランは一人頷く。
光をはじく亜麻色の髪が写真のとおり、いやそれよりも鮮明にアスランの瞳に焼き付く。
キラがすぐ側まで来ているという興奮に、先ほどまで考えていた挨拶の言葉などは消え去っていた。
そして目の前までやって来た、本物のキラ。
写真でも十分愛らしかったけれど、実物はそれよりも遥かに眩しくて麗しい。
花柄の刺繍が襟元に入った白いブラウスに、サーモンピンクのフレアスカートを 身にまとったキラは、
アスランと目を合わせた瞬間に頬を少しだけ赤らめて、キ ラを連れて来た母親らしい女性の後ろに隠れてしまった。

「あらあらキラ?アスラン君に挨拶しなさい」

そう諭されても、母親のスカートをぎゅっと握り締めてキラはこちらを隠れるように覗きみるだけだ。
けれどそんな仕草も何とも言えず可愛くて、アスランは自然とキラに微笑みかけていた。

「僕、アスランっていうんだ。よろしくね」

これからずっと。
だってキラはアスランの奥さんになるのだから。

そう思って手を差し出したけれど、キラは相変わらずだ。

「ごめんね、アスラン君。このコったら人見知りが激しくて」
「そうなんですか……」

嫌われているわけではないとアスランはホッと溜息をつく。

「ほらキラ。アスランはね、あなたの婚約者なのよ?」




瞬間、キラの身体は傍目にもわかるほどに強張った。

「ぇ……おかあさん……?」

キラは円らな菫をさらにまるくして、母親を見つめている。
「そうなのよ?ごめんなさいね、レノア。キラは本当にぼんやりしてる子だから 、今まで私の話を聞いてなかったみたいね」

アスランの母レノアにそう謝ったキラの母に、レノアもまた笑顔で「いいのよ」 と返答する。

もしかして、キラは婚約の事実を知らなかったのだから、婚約は破棄になってしまうのかとアスランを不安が襲う。
しかし、そんな簡単に破談になるものでもないらしく、キラの母はキラを無理やり前へと押し出した。

「やぁー!やだっ……やだよぉ!」
「キラ?なにが嫌なの?アスラン君、かっこいいじゃない」

キラの母はそう言ってキラの頭を撫でるが、キラはぶるぶると震えている。



「ぁ……こん……しゃ……やだぁっ!うわぁぁぁぁん!」

ついに、キラは泣き出した。


子供特有の甲高い声が頭に響く。


不快だから頭に反響するのではなくて、ただショックだったのだ。




泣くほど、僕が嫌いなのか




好きな女の子にそんな風に思われていることを認識して、アスランも泣きそうになったけれど、
キラに格好悪いところを見せたくなくてグッと堪える。


不謹慎にも、泣いてるキラはやはり可愛くて、婚約解消だけは絶対に嫌だと心のなかで強く念じるアスランであった。











「こんにゃくしゃやだー!こわいよぉ!うわぁぁん!」














このキラの勘違いに、その場にいた全員が気付くのはまだまだ先のことである。