動かない君
「シン。悪いがこれも頼む」
両腕いっぱいに木製の箱を抱えたシンに、アスランは無理な注文をつけた。
「っ……何言ってるんですかっ……」
「だからこの納品も頼む……と」
アスランはペンにインクを含ませるとはじの煤けた紙に慣れた手つきでなにかを書き込む。
それを木箱の隙間に挟むとシンの姿を確認して溜息をついた。
「……無理そうだな」
「当たり前だっ!」
そう言ったシンが腕の中の箱を床にたたき付けなかったのは、中身が中身だからで。
少しの振動でも傷がついてしまう繊細な「それ」は、人間がゆっくりと慎重に運ぶのが一番いい。
僅かな乱れも許されない絹の髪。
あたたかみを感じる白い肌。
王族に献上されるものに劣ることはない宝石を嵌め込まれた瞳。
それらを持つ「人形」は、今世間で最も人気のある愛玩物である。
出生率のさがったこの国で、少ない子供の兄弟代わりとして、また自身の子供として、「人形」を求める「人間」は後を絶たなかった。
だから今日もこうしてシンは人形を届けに行く。
巷で最も有名な人形師、アスラン・ザラの一番弟子として。
「ああ、シン!あまり傾けないでくれ」
「わかってるよ!」
人形を抱え直したシンにアスランは非難の声をあげて、シンは噛み付くように叫んだ。
今日運ぶ人形は、それほど大きくないものの、重さはそれなりである。
人形だけの重さならともかく、着ている衣装もなかなかこだわっていて、それが更にシンの負担になる。
だからアスランも一回自分で持ってみろと怒鳴りたくはなるけれど、
今新しい人形を箱に安置しようとする彼は軽々と少女くらいの人形を扱っていた。
「うわ……頭にくる」
「何か言ったか?」
「いえ、なんでも」
穏やかな声に毒気をぬかれてシンは黙り込む。
弟子入りして半年経つけれどアスランはいまいち掴みどころのない人間だった。
店の外にはアスランを一目見ようと町中の人間が集まっている。
それこそ老若男女を問わず。
国王陛下の近衛隊に入ったらどうかと思うほどにアスランの容姿は整っていて、
実際王宮から幾度も使いはやってくるほどだ。
そんな彼が人形師なんてやっているものだから、客はアスランの店にばかりやってきて、老舗の人形屋のなかなか経営は危ないらしい。
我が師ながら、変わった人間だとシンは思う。
近衛兵なんて町中のどころか貴族でさえ憧れるもので、人形を造って売るより遥かに収入もいいはずだ。
なのに彼はそれを断固として拒否していた。
(俺だったら絶対に近衛隊に行くよ)
ぼんやりそんなことを思っても誘いがくるわけではないからそうもいかない。
アスランは新しい人形を薄絹のベールで包むと、微笑みかけてから箱に人形を置いて蓋を閉めた。
「これはホークさんの家に」
「またですか」
「ありがたいことだ」
アスランは何も気がついていないだろうけれど、シンはホーク家の、いや、ホー
ク姉妹の狙いに気がついていた
この城下町一の大商人の娘、ルナマリアとメイリンは今も外でアスランが外出するのを待っている娘達同様彼に好意を抱いているのだ。
だからアスランに会いたいと思うのは当然で。
滅多に人前に姿を現さないアスランを見るには人形を買うのが一番手っ取り早い。
人形を届けに来たアスランにお茶を出すことも出来るし、運がよければ名前も覚えてもらえる。
決して安価ではない人形を多く買うことができるのはホーク家だからであり、他の娘達に真似はできなかった。
が、実際人形を届けに行くのはシンであり、その度に姉妹からは、特にルナマリ
アからは「またアンタなの?」と怒られる。
それでもルナマリアもメイリンも性格が悪いわけではなく、今ではすっかりシンと打ち解けていた。
時々アスランのことを聞き出すことに利用されている感は否めないものの、
シン はそんなことはないとうっすら事実に気付く自分をごまかしたりもしている。
「今月で何体目ですかね」
「さあ」
「さあ……って……自分が造ったくせに」
アスランの造る「人形」は本物の「人間」と見紛うばかりに美しい。
それを惜し気もなく手放すのはシンには到底真似のできない所業だ。
「結構な数を造るからね」
結構な数とはいっても造るのは人形だ。
たかがしれている。
造った人形に愛着がないわけではないだろうけれど、必要以上の執着もアスランは人形にしていなかった。
ただひとつの例外を除いて。
「キラ……」
例外の名前をぽつりと呟いたシンをアスランは微笑みながら振り返った。
「キラがどうかした?」
「いえ……」
「またラミエッタ候が何か言ってきた?」
「あー……この間言われましたけど」
口ごもるシンにアスランは微笑をつくり直した。
そのまま「キラ」の元へと歩み寄ると、その頬を愛おしげに撫であげた。
「キラ」は人形だ。
展示場より少し奥で、穏やかに微笑みながら椅子に腰掛ける少女人形。
欲しいと願う者は多々いたが、他の人形とは違いアスランが首を縦にふることはなかった。
現国王の娘エミリア姫をはじめとする身分の高い者や金持ちやらがこぞってキラを手に入れようとするが、
それは叶わない。
国王よりも財力のあるラミエッタ候などは、特にキラがお気に入りで自分の支配地のひとつをアスランに譲るといったけれど
アスランは毅然とした態度でその申し入れを断った。
きっと世界の金全て差し出しても無駄なのだろう。
だから亜麻色の髪に濃い菫色の瞳をしたその人形は有名で、いろいろな噂や憶測
が飛び交っていた。
アスランの死んだ恋人に似せて造った、というのが今一番有力視されている情報だ。
けれど本当のところは誰にもわからない。
アスランはキラについて多くは語らないから。
そしてキラは語ることのできない「人形」だから。
「ラミエッタ候には俺からまた言っておくから。シンは早くそれをホーク家に届けてくれ。今持っているのは明日でいいよ」
「あ、はい」
「ゆっくりしてきていいから」
「貴方の家じゃなくて人の家ですよ……」
アスランは手をひらひらと振りながらシンに出掛けるように促す。
もう瞳はキラのことしか映していなかった。
「どうぞキラとごゆっくり話していてください」
「キラは人形だから話さないさ」
「心の声聞こえるんじゃないですかね!」
「え?」
不思議そうな顔をしたアスランを見ずにシンは扉をバタリと閉めた。
丁寧に丁寧に木箱をホーク家まで運んでいく。
ルナマリアは文句を言いながらも紅茶と甘いお菓子をだしてくれるはずだ。
その間にアスランは思う存分キラと語り合うだろう。
「キラは話さない……ね」
当たり前だけれどあれだけキラに語りかけているアスランに言われると妙に頭にくる。
ふいに箱の中の人形がカタリと揺れた。
「わっ!」 アスランに怒られてしまうとシンは一度足をとめて箱を安定させた。
どうやら人形は無事のようだ。
「ルナは怖いけど」
シンは箱にむかって呼び掛ける。
「根はいいやつだから、可愛がってもらえよ」
返事は、なかった。
人形は
ヒトじゃないから
動かない。
「キラ」
二人だけの世界の中、アスランの声に、キラは微笑むだけだ。
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