「あ、牛乳ないや……」

冷蔵庫の中を見回して、キラは扉をぱたりと閉めた。
手に持ったカップの中には湯気をあげるコーヒーが少々。
これに砂糖とミルクをたっぷり入れないと、正直飲めない。
会社では強がってブラックの缶コーヒーを飲んだりしているのだけれど、飲み終 わったあとはいつも口を濯いでいた。

「買いに行こうかなぁ……」

でも外寒いしなぁ、とため息をつきながらキラは冷め行くコーヒーを見つめる。
そして再び冷蔵庫の扉をあけて、うん、と一人頷く。
冷蔵庫の中は、ほぼ空だった。
どっちにしろ買い出しに行かなければ、今晩の食事も危ない。

「仕方ないか……」

そうと決まれば、と薄いベージュのセーターに、マフラーを巻いてキラは外に出た。

「うわっ……寒い」

空を見上げれば、星が幾つか瞬いていた。
もうすぐクリスマス。
その後は、お正月。
今年もまた一人かと、キラは白い息をそっとはいた。







++++++++++++++++++++









「あ、これ安い」

来た時間が来た時間だからだろうか、割引のシールがやけに目立つ。
訪れたスーパーの中は、赤と白の広告が張り巡らされていて早くも正月気分だ。
鏡餅は流石にまだ安くはない。
手にとってから購入を諦めて、キラはとぼとぼとお目当ての場所へと向かう。
途中の精肉売場で立ち止まって、キラは品定めを始めた。

「豚……豚……」

(キラにとって)高めのものしか残っていない牛肉は、はなから購入の対象にはしない。
キラの財布の中は、いつだって淋しいのだ。

「あ、これにしよう」

パックにキラが手を伸ばしたところで、鼻を美味しそうな香りが掠めた。

「あ……」

すぐ横で、店員の女性が試食用のソーセージを焼き始めていた。
鉄板の上から煙をだして転がされるそれは、キラに「食べて!食べて」と言わんばかりに視覚的にも嗅覚的にもキラの食欲を煽ってくる。
あまりにも具合よく焼けていくソーセージを凝視していたキラは、そんな自分へ の視線に気がついた。
ソーセージを焼いている中年の女性店員は自分を哀れみの瞳で見つめていた。
恥ずかしい、と頬に熱が上って、キラは慌てて視線をそらす。
それでも食べたい、と未練たらしく立ち尽くしていると女性が小さなトレイにのせてキラに差し出した。
試食ごときに喜ぶなんてとは言っても、万年金欠のキラにとって嬉しいのは事実である。
ありがたくいただくことにした。

「彼氏と一緒にどう?」
「は?彼氏って……」
「お弁当にでもいれてあげたら喜ぶわよ?」

ニコニコと悪意のない微笑みがキラの胸に突き刺さる。


彼氏って……

自分は男なのに、どうして彼女ではなく彼氏なのだとキラはソーセージをつまんで口に放りこんだ。
もしかして女と間違われているのだろうか。
だとしたら悲惨すぎる。
ソーセージをゆっくり味わってから飲み干すとキラは「自分は男だ」と主張するために店員に向き直る。

「あの僕はっ……」
「ほら、アンタの彼氏だろ?カッコイイね」
「だから僕は!」

「オバチャン」らしい憎めない口調の相手に違うのだと言おうとして、キラはぴたりとかたまった。


アンタの彼氏?


今日、ここにはキラ一人できたのに。
だから、彼氏(彼女)なんていないはずなのに。
オバチャンの言うとおり、確かに背後に気配を感じた。

もしかして。

というか、いい加減登場の仕方が、ベタ過ぎる。

「ほら、彼氏にもどうぞ」

オバチャンは笑顔でトレイをもうひとつキラに手渡した。
これをこのまま自分の口に運んでしまおうか。
最近覚えてしまったあの男のフレグランスが鼻につく。

「キラが食べさせてくれるのか?」

真後ろの男を殴り飛ばして、逃げたかった。
いや、今から殴っても遅くないかもしれない。
けれどそんなことをしたら手に持っているソーセージを落としてしまってもったいないから、諦める。
キラの意思が弱いから殴らないのではない、決して。
自分に暗示をかけながら、キラは一呼吸ついて気持ちを落ち着かせる。

「マリューさん」
「違う」
「ムウさん」
「違う」
「フレイ」
「違う」

後ろを振り返るまで、心の準備をするための時間稼ぎ、基い、何とか抵抗を試みて知人の名を呼んでみるものの、
返ってくる声は、憎たらしいけれど耳に心地の良い音。

「ラクス・クライン」
「アスランだ。あまりふざけていると犯すぞ」

大好きなアイドルの名前を思い切って口にしたら、恐ろしい言葉を耳に囁かれて 、思い切り振り返ってしまった。
調った顔がすぐ近くにあって、ひい、と思わず悲鳴が口をつく。
それに男の眉がひそめられた。

「やっぱり貴方ですか……」
「そうだ」

頷くアスランの脳内ブラックリストに、キラが口にした人物が刻み込まれていることをキラは知らない。

「……心の準備しても同じだ……」
「心の準備?」
「いえ、気にしないでください」

はぁ、と息をついてからアスランを見遣ると、スーツ姿で腕組みをしていた。
なんてスーパーの似合わない男なんだとキラは吹き出しそうになりながら、同時に違和感の無い自分に切なさを感じる。
アスランを目の前にすると、自分が男だという誇りをなくしてしまいそうで怖い。

「キラ」
「あ、なんですか?」
「それは俺の分なんだろ?」
「え……これ?食べるんですか?」
「それ、摘んで」

不遜に指をさされて多少なりともムッとしたものの、キラは言われたとおりにそれを指先に挟んだ。
こうですか、とキラが言い終わる前に、指先を温かいものがなぞって、そしてソ ーセージは姿を消した。

「なっ……」
「うまい、な」

アスランが、キラの手をとって指先を「再び」ぺろりと嘗めた。
さっきまでそこにあったソーセージはアスランがすでに飲み込んでしまっていた。
心なしか周囲から黄色い声が聞こえる。

「な、なにするんですか!」
「俺の分を食べただけだ」
「そうじゃなくてっ」

公衆の面前で、ただでさえアスランは目だっているのにと肩をいからせたキラを、アスランは鼻で笑った。

「キラは周りのことを気にしすぎだ」
「貴方が気にしなさすぎなんですっ!」
「そういうのは男らしくないな」

アスランの言葉にグッと勢いが止まってしまう。
自分は悪くないはずなのに、アスランの言葉が正しく聞こえてしまう。

「もしかして照れてるのか」
「違いますよ!もう嫌だ……」
「キラの指は甘かった」
「それ以上言わないでくださいね」

人の視線も集まっているから、もう無視するしかない。
そうだ。
そもそもここでアスランに構ってしまうからいけないのだ。
気合いを入れ直してキラはアスランからふいと顔を背けた。

「キラ」
「何も聞こえない」

自分のとった方法が子供みたいだとは認めたくない。
再び肉選びを再開したキラの後をアスランはついてきていたけれど、「空気だ」と言い聞かせる。

「あとは……これにしようかな」

ロース肉を手に取ったところで、腕にさげていた籠がズシリと重くなった。

「ちょっと!何勝手に入れてるんですか!」
「旨そうなもののがないから、まだ食べられそうなものを入れてみた」

表情ひとつ変えることなく言い放つアスランを、やはり殴ってもよいのだろうか。
さっきからキラが見ないようにしていた牛肉、それも高いものばかりを入れてきたのだ。
僕の財布をそんなに空にさせたいのか、と怒鳴りたい気持ちを必死に抑える。
無視しようと決めたけれど、こんなに存在感のある空気にそんなことできるわけがなかった。

「やめてください!」
「俺が食べたい」
「じゃあ自分で買えばいいじゃないですか」
「キラと一緒にね」
「はぁ!?自分で精算してください」
「キラの作ったものをキラと一緒にキラの家で食べたい」

動けないように腰を抱かれてしまった。
なんだかとても恥ずかしい台詞を聞いた気がする。

「無理ですっ…」
「どうしてだ」
「また変なことされたら嫌だ」
「変なこと?」

そんなことしたか?と言わんばかりに首を傾げるアスランにとって、以前のキラへの行為は悪意のないものらしい。
そんなやつに付き合ってられないと、触れている手を叩こうとして、キラの耳に 甘い誘惑が届く。

「全部俺がだすから」
「……」

負けるな、キラ・ヤマト。
お金がないからって、こんなやつのいうことを聞く必要はない!と自分で自分に エールを送る。

「絶対変なこと……する」
「しない」
「……そんなのわからないし」
「食べたいものを、買っておいで」

妙に口調が優しくないか。
心のなかでは怪しい、と思うのに。

「何が食べたいんだ?」
「……」

もう少し頑張れば、この悪魔に勝てる。

「キラ。本当にいいの?」

最終通告のようなアスランの言葉がキラの心のなかに響く。
これを乗り切れば……。












「……プリン」


200円するやつ。


そう口にした瞬間、キラの負けだった。









++++++++++++++










「ありがとうございましたー!」

店員の笑顔に見送られて出た店の外は、やはり寒かった。
行きとは違いアスランがいるものの、二人の間には微妙な距離があって余計に冷える。

「キラ」

気まずいなぁ、と俯いていたら名前を呼ばれて、キラはアスランの方を振り返る。

「それ貸して」

アスランが指差したのは買い物袋で、(アスランが)精算を済ませたキラの食料が入っている。

「え、これですか?」
「重いだろ」

自分の買い物であるし、お金を払ってもらっていて尚且つ荷物を持ってもらうなんて、女々しすぎる。
それにこれ以上アスランに恩をきせたくないという本音を相伴ってキラは首を横にふった。

「このくらい平気ですよ」

とは言うものの、張り切って買いすぎたかもしれない。
牛乳パックが沢山入ったビニール袋を両手でなんとか持てる状態だった。
それをアスランが無理に引っ張ったから、取っ手が指に食い込んで、思わず顔をしかめてしまった。

「大丈夫か?」
「あ、はい……平気……です」

落としかけた袋は、アスランがしっかり受け止めていた。
それを片手で軽々持っているから、憎らしい。
ひりひりと痛む手を摩っていたら、アスランが開いている方の手でキラの手を掴んだ。

「ちょっと……」
「赤くなってる」
「たいしたことじゃ……」
「左手はポケットに入れて」
「え?」
「早く」

言われた通りにすれば、右手をアスランの左手に握られる。

「あのっ……」
「なんだ」
「なにを……」
「手袋代わり」

そう言って微笑まれて、息をのんでしまった。 こんな風に笑うんだ、と何故だか感嘆してしまう。
荷物を持っているアスランの右手は寒いんじゃないだろうかと思ったけれど、口には出さない。
というより出せなかった。
アスランの手は思ったより温かかった。
このまま手を握られていたら、アスランよりも高い温度の自分の手がもっと熱くなるのが、ばれてしまう。

「………」

繋いだ手を振りほどけないのを、寒いから仕方が無い、と自分に言い聞かす。

早く家に着けばいいのに。

それが本心かどうかはキラにはわからなかったけれど、帰宅するまでの無言の時 間の居心地は、悪くなかった。





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アスラン、ロマンちすと