「ちょっとキラ……飲み過ぎなんじゃない?」

キラの横の席についていたフレイは、いつものお酒の席とは違うキラの飲みっぷりに苦笑した。
店に入ってから一時間余り、キラは途絶えることなくお酒を口に運んでいる。

「いいの……忘年会だから……」
「何がいいのかわからないんだけど……アナタいつもは飲まないのに」
「忘年会って……今年を忘れるために……やるんでしょ?」

頬を真っ赤にしてグラスを煽ったキラの瞳は虚ろだ。
出されたおしぼりでフレイが額を拭ってあげると、キラは瞳を潤ませた。

「ふれい……」
「ちょっとキラ?」

突然しくしくと泣き始めたキラにフレイは素っ頓狂な声をあげた。
このコ泣き上戸だったのと、弟のように可愛がっているキラの泣きじゃくる姿にどきりと胸を鳴らしながらも、
フレイは優しくキラの背中をさすってやる。
キラの反対隣に越しかけていたフラガは、そんなキラを見て豪快に笑った。

「そうだぞ、キラ!忘れたいことは忘れちまえ!」
「ちょっとフラガさん!煽らないでくださいっ」

フレイが止めるもむなしく、フラガの言葉に頷いたキラは尚もぽろぽろと涙を零す。
男の涙は暑苦しいものだなんて常識は、キラに関しては通用しない。

「だって……ぼくっ……ぼく……なんにも悪いことしてないのに……」
「キ、キラ?」

嫌なことばっかりだ、とくしゃりと顔を歪めるキラも愛らしくて、まだそんなにアルコールの入っていないフレイの頬も紅く染まってしまう。

「いじわるばっかりされて……忘れたいことばっかりなの」

少しばかり呂律も回らなくなってきたらしいキラは、フレイの手をがしりと掴んだ。

「ぼくっ……なにも悪くないよね?」
「え、ええ……」

キラが尋ねることの意味はわからないから、フレイは曖昧に頷く。
その言葉に安心したのかキラはフレイから手をそっとはなした。
アルコールの魔力かしらと女のフレイが思うほど、瞳の潤んだキラは艶かしい。

「……あの……あくまめ……」

そう恨めしげに呟いたキラの空のグラスに、フラガは透明の液体を注いでいた。
それにフレイは柳眉をぴくりと動かす。

「ちょっと……まだ飲ませる気ですか?」

フレイが非難の声をあげても、フラガは気にする風もなく、手ずからグラスをキラの口元に運んでやる。
この男も相当酔っているようだ。
フレイは一応は上司であるフラガに聞こえない程度に舌打ちすると、グラスを奪い取ろうと手を伸ばした。
が、酔っ払いの動きの方が一瞬早く、キラの喉元はこくりと動いてしまった。

「あーっ!」
「どうだ、うまいだろキラ」
「はい!とっても!」

グラスから顔を上げたキラは上機嫌に微笑む。
フラガもその様子に満足げに頷くと、残りのアルコールをキラの喉におさめるべく、再びグラスを傾けた。
キラの頬は、これ以上紅くならないだろうというところまできていて、フレイの生来の心配性が最大限に頭をもたげる。
頼りのミリアリアは、トールとラミアスの世話で一杯一杯のようだった。
これ以上キラに飲ませたら流石にまずいと、今度こそ本気でグラスを奪いさろうとした時だった。






「飲み過ぎだ、キラ」






聞き慣れない声が、フレイ達の頭上に響いた。
















+++++++++++++++++++++++++














ああこれは夢なんだ。
だって、忘年会の最中だもの。
嫌なことは、お酒を飲んで、綺麗さっぱり忘れるんだ。
蒼い髪の悪魔のことも。
翡翠色をした瞳の悪魔のことも。

なのに。

なんで。

悪魔がいるの?









「飲みすぎだ、キラ」

キラの顎を、長い指が荒々しく掴んで、その苦しさにキラは首を振って振りほどこうとする。

「う……ぁ……」

キラの肌に伝わる感触はまぎれもなく例の悪魔のもので、冷たさも、かたさも、覚えのあるものだった。




だって、僕はこの指に。




そこまで思い出して、先ほど以上に頬が熱くなるのを感じた。
なんということを想像してしまったのだ。

「うわぁぁぁっ!くるなぁっ!」
「もう遅い。来ている」
「でたなぁ!アクマめ!」
「迎えに来てやったのに失礼な奴だな」
「僕は帰らないよぉ!」

キラの腰を抱えかけた男を振り払って、キラはすぐ横のフレイに抱きついた。

「ちょっとキラ!?」
「やぁっ!フレイ助けてぇ!」

さっきとは違う意味で泣き始めたキラと、目の前の男を見比べる。
男は露骨に眉をひそめながらフレイを品定めでもするかのように睨めつけた。
態度は最悪だが、「イイ男だ」とフレイは思った。
キラとどういう関係かは知らないけれど、ここまでおびえているのだから、「イイ男」だとはしても、「イイ奴」とは限らない。
元々キラは人懐っこい性格で、お酒を飲んでいたとしても、愚痴ひとつ零さないタイプなのだ。
そんなキラがあからさまに「助けて」と拒絶を示しているから、この場で保護者代わりのフレイとしては心配になる。
だからキラの背中をなだめるようにさすりながら、思い切って「どちら様でしょう」と尋ねると、男はクスリと冷笑した。

「キラは何も言ってないのか」
「え……はい。あの、キラとはどういうご関係で」

お嬢様育ちのフレイは、結構上からの物言いをしてしまうのだが、目の前の男はそういうことが出来る雰囲気をしていない。
だから出来る限り丁寧な口調で再び問いかける。
すると男はフレイの腕の中で子供のように泣きじゃくるキラの腕を乱暴に掴むと、自分の方に引き寄せた。

「いたぁっ!」

痛みに歪んだキラの顔表情が見えなくなったのは、藍色の頭がキラのベビーフェイスに重なったからで。
え?と今まで思い思いに盛り上がっていたその場全員の視線が二人に釘付けとなる。






「キ、ラ」





男の艶かしい低音はキラの唇に吸いよせられた。








「あっ……」





ちゅく、水の音がして、あたりがシンと静まりかえる。
本来なら騒がしいはずの居酒屋で、異様な静寂が場を支配した。


イイ男がひとりに、可愛い男がひとり。


見ているのが恥ずかしく感じられるほどに、熱い口付けが眼前で繰り広げられていた。

「ふ……ぁ……」

キラの細い腕が、自分を抱きしめる男の胸板を必死に押し返そうとするけれど、
角度をかえられ濡れた音が響くと、その抵抗も小さくなっていく。
見ていて、不快感はなかった。
ただその凄まじさに、唖然とするだけで。

塞がれっぱなしだったキラの唇から男の唇が僅かに離れると、その隙間から透明な液体がとろりと零れ落ちる。
キラの身体もそのままくたりと崩れて、その瞬間に、やっとフレイは冷静さをとりもどした。
見とれてしまったなんて、口が裂けてもいえない。
そしてフレイは、ああ、と頷いた。

「キラの……彼氏ですか……」

恐る恐る口を開いたフレイに、キラの身体を受け止めた男は不敵に微笑む。

「さぁ?」

ただ、今まで可愛がっていたキラに、そんな人がいただなんて、とフレイは少しばかり動揺を隠せない。
最初こそ嫌がっていたキラだけれど、今では瞳を溶かしているから、きっと、恋仲なのだろう。
それなら、こんなところに男が現れた理由も説明できるとフレイは一人合点する。

「アス……ラン」

キラから小さく声が漏れて、フレイと男は同時にキラを見つめる。
酸欠なのだろうか、キラは心ここにあらず状態で、ただ「アスラン」と呼ぶ男の腕にもたれかかっている。
アスランはそんなキラを今まで見せなかったほど穏やかな瞳で見つめていた。

これは、もう疑う余地もないわ。


これ以上、キラにお酒は飲ませたくないと思っていたから、彼の出現はちょうどよかったかもしれない。

「あの」
「何だ」

頭にくる物言いだ。
けれど、今この場からキラを退場させるにはもってこいの人材だから、語調を必死に整える。

「キラを、お願いしますね。大分酔っちゃってるみたいで・・・」

男は一瞬目を見開いて、驚いたようだったけれど、すぐにまた口端をもちあげた。

「当然だ」

キラは何か言おうとして身体に力が入らなかったのだろうか、男に抱き上げられるまま、店を後にした。


「ああっ!俺のキラがぁ!」

可愛いペットを連れ出されたフラガの抗議の声は、フレイのひと睨みでかき消さる。
この後の盛り上がりのネタが、あの二人のことなのは、必須だった。





(でも、なんで最初はなんであそこまで嫌がってたのかしら……)




そんなことを思いながらも、キラをこの場から助けられた使命感とお酒の助けで、それ以上のことをフレイが考えることはなかった。





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